2024年5月 開催報告

・ご挨拶
2024年5月18日、第80回 CUD 友の会がハイブリッド(対面+ZOOM)にて開催されました。
シンプリストやまださん、そして、参加いただいた皆様、ありがとうございました。

・自己紹介(これを書いている人)
CUDO 個人賛助会員の tana です。色覚型は、Da(D弱、2型3色覚)です。
CUD 友の会では、毎回の内容の打ち合わせの準備、進行用スライドのマスタ作成などを行なっています。
時々、司会進行などで表に出てきます。

・内容
シンプリストやまださん をオンラインにてお招きし、ご著書「色弱に生まれて損したこと、得したこと」(Kindle出版)の内容を中心に、ご自身の色弱という「個性」との付き合い方をお話しいただきました。CUD友の会としても珍しい対談形式(◯子の部屋形式)でした。どうなるか不安もありましたが、やまださんの話術にすっかり依存する形で無事に終了することができました(いつものことながら皆様の協力あっての会なのです)。

次の5部構成でお届けしました。
1. 自己紹介
自己紹介をいただきつつ、「シンプリスト」の命名のきっかけ、ご家族との接し方、お子さんへの色弱の伝え方なども含め、お話しいただきました。

2. 色覚と職業
色覚とお仕事の内容(機械設計)について、お話しいただきました。職場でもご自身の色弱をオープンに公言されているということで、色で困ったことがあれば同僚の方などに素直に分からないことを伝えて助けてもらっているそうです。その代わり、別のところでフォローするという「お互い様」の関係が構築できている環境は、とても素晴らしいことだと思います。
また、CAD(パソコンによる設計)において、色弱であるからこそ部品の形状など色以外の情報に敏感(感度が高い)な点が優位なのではないかというお話もいただきました。以前より色弱の当事者は、色よりも形を元に見分けることに優れているのではないかという話を聞きます(草むらの中の昆虫を見つけるのが得意説など)。仕事の面においても、そのような特徴が活かされているのかもしれませんね。

3. 色覚とゲーム、スポーツ
ゲームのお話では、ちょいちょい話題にのぼる「ぷよぷよ」の話が印象的でした。子供の頃、友達と遊んでいると色の見分けが苦手な分、初めからハンデを背負っていることになるので不利だったというエピソードです。UNOのような色を用いたカードゲームでも同様だったそうです。現在のぷよぷよでは「色調整モード」といった多様な色覚(見え方)に対応した形で、みんなで遊べるような機能が搭載されていることも併せてご紹介しました。
スポーツの話では、サッカーなどの集団スポーツにおいて、仲間、敵をユニフォームの色を元に瞬時に判別する必要があるような種目で苦労されたというエピソードが紹介されました。テレビゲームのサッカーゲームにおいても、同様で、見分けにくい色のチームを使わないようにお願いしていたそうです。ちなみに、やまださんは学生時代には陸上部だったそうです。色弱の当事者は個人競技(陸上、卓球、など)の経験者が多いらしいという話にまた1人、事例が追加されたことになります。
最近では、おもちゃでもスポーツ用品でもCUD対応のものが増えてきたように思います。「どんな色の見え方であっても、みんなで楽しめる環境が増えると良いですね」、といったお話をいただき、私も同様の意見を持ちました。

4. 色覚と都市伝説
ここでいう「顔色」は、比喩としての顔色ではなく、実際の人の顔色の話です。お子さんが体調が悪くなってしまった際に、顔色が変化するわけですが、それに気がつくことができなかったというお話をいただきました。そういった苦手な部分については、奥様にお願いしていたそうです。夫婦がお互いに協力し合う、という点では、色覚においてもそういうものなのだと改めて考えさせられたように思います。
(私は独身ですが)

5. 色覚とメリット
色覚、色弱のメリット。特に次の2つについてお話し頂きました。
まず、マイノリティの気持ちがわかる(と思う)という点についてです。色覚に限らず、社会の中の少数の側に属する方達の気持ちが、より分かるのではないか、ということでした。色弱の当事者も少数色覚というマイノリティな世界の住人です。だからこそ、別の分野のマイノリティな人たちの気持ちが、理解しやすいのかもしれませんね。
次に、生まれた時からCUDの達人(だと思う)についてです。ご自身が色弱であるということは、自身で作る資料も自ずとCUD対応の資料になるということでした。自分が色がわからないからこそ、色に頼らず形や大きさ、模様などで判別できるような資料を作成することができるようになったそうです。自分がわかるように、と作成した資料が、実は、色弱の人がわかるようになる、というのは確かにそうかも!と思わず納得してしまいました。そういった資料作成の勘所を、同僚の皆さんにも伝えられているのかもしれませんね。

・お話を聴いての感想
ご著書「色弱に生まれて損したこと、得したこと」(Kindle出版)の内容を軸に、3つのポイントがあったように思います。
1)色弱は、悪いことではない(個性の1つ)
2)色弱を、受け入れる(諦めるのでははない)
3)色覚検査のない世界の理想の実現のために(色覚検査を否定するわけではない)

1)色弱は、悪いことではない(個性の1つ)
「色弱は、悪いことではない」というのは重要な主張です。
色覚に良い悪い、正常・異常はない、ということです。ここ数年の最新の科学においても、色覚は連続的であり普遍的にさまざまな色覚の人がいるということが明らかになっています。明確に「ここから先が異常」というジャッジができない(意味がない)という立場です。
色覚に限らず、さまざまな分野で「多様性」というワードを見かける中で、「そういう人もいる」という認識(意識)を持つことも重要なのかもしれませんね。

2)色弱を、受け入れる(諦めるのでははない)
色弱は、遺伝によるものが多いです(病気による後天的なものもありますが、多くは遺伝、つまり、先天的なものです)。それは、自分自身にはどうにもならないものということを意味します。一般には、血液型を好きに変えられないことに近いようです。そういった中で、色弱、色覚異常というワードに引っ張られて悲観的になるのではなく、それを受け入れ上手に付き合っていくことで、より良い人生が送れるのではないかという考え方は、とても重要だと思います。

3)色覚検査のない世界の理想の実現のために(色覚検査を否定するわけではない)
少し極端な表現ですが「色覚検査のない世界が理想」というお話に、共感を覚えました。もちろん、今の社会においては色覚検査が必要であるという前提の元での、将来の展望です。社会にCUDが普及し、意識せずとも、多様な色覚に対応した社会(システム)が立ち上がっていれば、色覚検査をする意味がなくなるためです。現在は、そういう世界ではないので、検査をすることで自身の見え方を知っておくことは日常生活を送る上で、有用な場合があると思います。
ただし、何歳ごろに色覚検査を行えば良いのか?などについては議論の余地があります。難しい問題であることも事実です。


・参考 URL
1)色弱に生まれて損したこと、得したこと

・アンケートのお願い
参加された方には、ぜひ、参加者アンケートのご協力をお願いします。

以上です。